公明・斎藤代表の発言が“1日で反転”。
高市総裁との会談では「誰が総裁でも同じ」と言い切ったのに、翌日のNHKでは「小泉なら共通点があった」と“別の答え”。
→ ネット「どっちだよ!」「後付けの言い訳」と大炎上。
何が起きた?
- 会談(前日):斎藤代表「(連立判断は)誰が総裁でも同じ」
- 翌日の番組:
- 「小泉氏は企業・団体献金の規制で共通点があった」
- 「理解があったから即実現も」
- でも最後は「小泉さんだったらどうなったかは想定できません」とも発言
→ 文章にすると “小泉なら話が通じた” と “想定できない” が同居。整合性ガタガタ。
ネットの反応(要旨)
- 「きのう“誰でも同じ”って高市に言ったよね? 何で今日は“小泉なら違う”になるの?」
- 「企業献金を理由にしてるけど、後付け感すごい」
- 「録音あるらしいぞ、出たら終わり」
- 「政教分離できてないのに“誠実”を語るな」
- 「連立解消の理屈がグダグダ。結局“高市が嫌”なだけ?」
- 「26年の自公で増税ラッシュ、もう潮時」
- 「これを機に宗教団体への課税や金の流れも議論すべき」
- 「高市VS公明の全面対決を国民の審判で決着つけよう」
矛盾ポイントを3行で
- 前日:誰が総裁でも同じ
- 翌日:小泉なら即実現も → でも「想定できない」
- 結論:言い分が日替わり。後付け理由に見えるのは当然
なぜ燃える?
- 論拠のブレ:説明軸が「政治とカネ」→「人(小泉ならOK)」へすり替わり
- “好き嫌い政治”に見える:政策より“相性”基準?という疑念
- 長年の鬱憤:自公協力で“候補不在区”が生まれ、有権者の選択肢が狭かった記憶
この先どうなる?
- 高市側は“会談の記録(録音)”を示唆との声も。出たら即KOの可能性
- 自民は公明の地盤にも独自候補擁立へ。選挙は真っ向勝負へ
- 野党側:公明の比例最優先戦略に“連携”の含み。
→ 選挙区:自民と公明が競合、比例:公明は死守の構図が濃厚
- 野党側:公明の比例最優先戦略に“連携”の含み。
皮肉なオチ
正直、今回の公明党・斎藤代表の発言を聞いて「やっぱりな」と思いました。
高市総裁との会談では「誰が総裁でも同じ」と言っておきながら、翌日のNHKでは「小泉さんなら違った」と平然と話す──
これ、普通に考えておかしいですよね。たった一日で言ってることが180度変わる。
しかもその理由が「企業献金の理解があった」とかいう、後付け感丸出しの言い訳。
政治家の発言って、本来は命を懸けるくらいの“重み”があるべきなのに、ここまで軽く扱われると「じゃあ昨日の言葉は何だったの?」と国民は思うわけです。
そしてその矛盾を誰も説明しない。メディアも突っ込まない。だから余計に不信感が募る。
高市さんが“録音してる”という噂もありますが、もし本当にそれが出てきたら、公明党は一気に信頼を失うでしょう。
連立離脱の理由が「政策の違い」ではなく「好き嫌い」に見えてしまった時点で、もはや“平和の党”とか“誠実な政治”という看板は地に落ちたと言わざるを得ません。
個人的には、今回の連立解消は日本の政治にとって悪いことではないと思っています。
宗教団体との関係や、長年の票のやり取りで“選挙が出来レース化”していた現状に、ようやくメスが入った。
むしろここからが“本当の政治”の始まりなんじゃないでしょうか。
高市政権にはこの流れをチャンスと捉えて、公明に遠慮しない改革を進めてほしい。
そして、公明党には一度“宗教と政治の関係”を根本から見つめ直してほしい。
今回の件で浮き彫りになったのは、「発言の軽さ」と「国民との温度差」。
この二つを放置すれば、どんな党であってもいずれ支持を失います。
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